湖畔の蒲

 わたしは家より10里ほど離れた湖畔にいつも寄り、蒲との対話を試みていた。
「やい、私は今日も来た。聞き手の求めるお前のために今日も来た。見せてみよ、そなたの知っている噺を。」
蒲が先につけている茶の柱は傾聴のためにあるのだろう。
わたしは湖に向け綴じ合わせた紙を投げる。その紙は脆く、水中に溶け落ちていった。

 この場所は樹々に囲まれているためか薄暗く、何の植物からかは知らぬが強烈な芳香が漂い、常に見張られているかのような居心地の悪い湿っぽさに包まれている。ここに留まり無言を貫くはなかなかに難しい。

「いつもこうなのか。なにも変わらないのか。お前は。そうやって水に浸かって、腐り落ちないことを良しとしたせいで、ついにそこから動くことができなくなった哀れなるお前。お前はみんなからなんと呼ばれているかわかるか? わからんよなあ。せいぜい考えているといい。私はあえて教えぬぞ。お前はその孤独で醸成された想像力で、漂っているといい。」

と、水面になにか浮かびあがって来る。私が投げた紙の束である。脆く溶け落ちた紙は再び不可逆の壁を乗り越えて帰ってきたのである。わたしはそれを拾いあげ、紙を捲る。なにも描かれていないはずであったその紙にはしっかりとした文字が書きこまれていた。生ぬるい風がわたしを撫で、強烈な芳香がおそいかかる。ちらちらと光があちこちに当たり、森は厳かさを一時的に失ったように見える。
 わたしは読み上げた。あえて、大声で。

「うさぎの噂話を聞いた鼠がカモシカに伝えたところによると、昨日西の沼にて瀆神を犯した蛙が、回教の決まりにより火あぶりにされたらしい。それを知った熊は、わざわざ突兀とした山の上にある鳥居を壊して西の沼へと向かった。周りに威勢をまき散らし、野蛮に立ち向かおうとするも、東の沼にて蝦蟇(ガマ)が串刺しにされたと聞かされる。打ちひしがれる熊は西の沼の底にある供え物を東の沼の杜に投げ込んだ。あの壊した鳥居のある山へと再び登り、来たものを退治する覚悟にあった熊であったが、結局だれも来なかった。ずいぶんと長い時間待ち続け痩せぼそった熊を見かねてか、山羊は2頭のカモシカが殺されて瀆神行為に対する断罪は終わったのだと伝えた。再び挑もうとする熊を山羊はとうとう止められず再び熊は瀆神行為を行ったのだが、その報いを受けたのは山羊であった。熊はほとほと疲れ切ってしまい、元居た故郷に帰って行った。それから間もなく、鼠が嘘の噂を流しているという告発を受け、鼠は東の沼にて処刑された。神がおらねば、殺される者はいなかったであろうに。熊がおらねば、無辜の者たちは死ぬことはなかったであろうに。鼠がおらねば、熊は早々に殺されていたであろうに。沼があらねば、そもそもこのような悲劇はおこらなかったであろうに。」

 わたしは読み終わり、周りには静寂があるばかりであった。なにか続きを書こうとしていたようにも見受けられるが、書くことを止めたのであろう。思うに、この蒲も書くネタがほとんど尽きてしまっているのであろう。いや、そもそもこれを書いているのは蒲ではないのだろうが…。
 とまれ、わたしも少し歳をとった。ここにかかずらっている日々は今日で終わらせた方がよいであろう。
わたしが以前から仕掛けている霞網には、今日も鳥どころが虫も訪れず、この場所の生命の少なさを示しているかのようだった。わたしは霞網を切り落とした。




蒲(がま) ・・・ (古くはカマ)ガマ科の多年草。淡水の湿地に生える。高さ約二メートル。葉は厚く、長さ1メートル以上、幅約二センチメートル、編んでむしろを製する。雌雄同株。夏、20センチメートルのろうそく形の緑褐色の穂をつける、これを蒲団の芯に入れ、また、油を注いでろうそくに代用、火口(ほくち)を造る材料とした。みすくさ。「蒲」「蒲の穂」は〈季・夏〉。記上「—の花を取りて、敷き散らして」
綴じ合わせる(とじあわせる) ・・・ 《他下一》|文|とぢあは・す(下二) 一まとめに綴じる。「書類を―せる」
瀆神(とくしん) ・・・ 神を瀆(けが)すこと。神の神聖をきずつけること行為。
回教(かいきょう) ・・・ (回紇(ウイグル)民族を通じて中国に伝播、回回(フイフイ)教と呼ばれたのに基づく)イスラム教に同じ。

突兀(とっこつ) ・・・ ①山・岩などのけわしくそびえるさま。②他にぬきんでて高いさま。
とまれ ・・・ 《副》(トモアレの約)ともかく。ともあれ。
かかずらう・・・《自五》①(面倒な物事に)かかわりを持つ。関係する。たずさわる。 源帚木「受領と言ひて、人の国のことに―・ひいとなみて」 ②ある事柄にこだわる。拘泥する。鶉衣「おのづから名利も―・ふ心の」。「そんなことに―・ってはいけない」 ③この世を捨てられずにいる。生きながらえる。
霞網(かすみあみ) ・・・目に見えないほどの細い糸で作り、垂直に高く張って小鳥を捕らえる網。普通、高さ三~六メートル、横七~九メートル程度。小鳥が渡米する秋に多く用いたが、現在では禁止されている。かすみ。〈季・秋〉

広辞苑 第7版

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キノットと申します。サッカーの情報とか発信できるように頑張ります。

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