ラジオを聴いていた。男が演説をしている。この男の演説を観たことがあるが、聴衆の掴みようは見事なものだった。そして今聞いているこの演説も、人をたぶらかせるには充分効力を発揮していた。しかし、聴衆に見られているときの演説とラジオで聞かせているときの演説のやり方の違いを感じるに、この男は独自の修辞学を完膚なきまでに大成させているようであった。
私は手に持っていたスキットルを一気に口まで運びそれをあおる。のんきな蝉は知らないだろうが、供儀を求める童たちは貴様を追い求めることだろう。だれも貴様の死を悼まないというのは、私は寂しいのでこのスキットルを置いておこう。清涼な水が注がれやがて花瓶(けびょう)へと昇華していくことを勝手に祈っておこう。
男の演説はフィナーレに向かいより強い感情をこめだしていた。人々は期待をしている。この男がその修辞学を駆使し、人における最も昂ぶる状態を見つけ出し、導いてくれるだろうことを。私は傾聴をした。さあ、この森を震わせてみろ。私を感動させてみせろ。
と、ラジオの電波が乱れたようだ。のんきな蝉は知らないだろうが、妓楼という場においては己が命の短しを良しとして人類における公理を放棄していると聞いた。表に立っているあの彩色姿はまるで、これは無粋な表現だが華のようであるが、媒染剤がもしもなかったのなら、忽ちに朽ち木まみれのお前の好きそうな場所へと化けてしまうのだ。
ラジオの音は乱れっぱなしであった。ちょっと振ってみたがどうにも良くなる気配はないな。
見えるものは見せられるもの。聞こえるものは聞かされるものだ。のんきな蝉は知らないだろうが、私は石切り場で働いていたことがある。その石切り場においてお前を見かけることは一度もなかった。それは当然だとお前は言う。だが本当にそうか? スキットルは花瓶みたいなものだろう?
あの男が最後どのような言葉でもって演説を終わらせたか知らないが、あの男の修辞学は実相というものを完全に理解している。今ごろ万雷の拍手でもって賞讃されていることであろう。
あの男は知っている。のんきな蝉、いやのんきだと見せる蝉は知っているだろうか。
より深くに、より遠くに実相というものを置いておいた方が世界は色めき、そして美しい!
修辞学(しゅうじがく)・・・(rhetoric)人を説得する術。そこから発して、相手に感動を与えるように最も有効に表現する方法を研究する学問。アリストテレスの「修辞学」(弁論術)に始まるという。美辞学。レトリック。
広辞苑 第7版
スキットル(skittle)・・・(球技の一種、九柱戯の意。日本での用法)酒を入れる、携帯用で金属製の小型水筒。
供儀(くぎ)・・・(キョウギとも)神にいけにえを捧げること。また、そのいけにえ。神と人との関係を成立させる宗教的儀式として行われる。
花瓶・華瓶(けびょう) (仏)三具足(みつぐそく)・五器の一つ。花を供えるのに用いる壺をいう。ふつう金銅(こんどう)製で、模様のないものが多い。びょう。かひん。
妓楼(ぎろう)・・・女部屋。遊女屋。青楼。
公理(こうり)・・・①おおやけの道理。一般に通用する道理。 ②〈哲〉(axiom)㋐証明不可能であり、証明を必要とせず直接に自明の真理として承認され他の命題の前提となる基本命題。 ㋑ある理論領域で仮定される基本前提。この場合、公理は自明な真理ではなく、公理系のとり方によって定まる。
媒染剤(ばいせんざい) 染料と繊維を媒介して固着させる物質。タンニン剤・アルミニウム塩・鉄塩の類。
石切り場(いしきりば)・・・石材を切り出す場所。
実相(じっそう)・・・①実際の有様。真実のすがた。「生活の―」 ②〈仏〉現象界の真実のすがた。真如(しんにょ)・法性(ほうしょう)などとほぼ同義。浄、職人鑑「是ぞ―中道の仏の教、神の法」。「諸法―」